101.出涸らしの役目
突然ですが、古典落語の名作には廓噺(品川心中、明烏、お見立て、三枚起請など)が多いのですが、このご時世、これらが上演しづらくなったと聞いたことがありました。とても驚きましたし、おかしな時代になったものだとも思いました。
現在の大河ドラマ「光る君へ」や朝ドラ「虎に翼」は、現代からは全くかけ離れた世相風俗が舞台です。前者では男女・夫婦の関係、後者では社会的男女格差(区切られた役割)などがむしろそのことを強調して描いています。一昔前ならそういう時代設定のドラマだから、と違和感がなく観れていたのでしょうが、現在の風潮に影響を受けているせいか、このようなドラマを地上波で流してよいのかとまで思ってしまいます。
しかし、どちらも抜群に面白い。回を追うごとにドラマに引き込まれます。脚本、演出、出演者の力量によるところが大きいのでしょう。
さて、今朝(7月2日)の「虎に翼」で、「私なんて偉そうに言うだけの口だけジジイだよ」というセリフがありました。終戦直後の初代最高裁長官(という設定の)星朋彦氏の晩年の言葉です。さらに、星氏が主人公寅子の恩師でもある法律学者穂高先生に最高裁判事を依頼する回想シーンで、辞退しようとする穂高先生に「自分は人生をがんばりつくした。時代も変わった。役目も終えた。いわば出涸らしだ。でもね、先生。出涸らしにだから出来る役目や若いやつらに残せることがあるんじゃないかな?」と語りかけます。
その話を聞いた寅子さんは「そのときの自分にしかできない役目みたいなものは確かにあるかもしれないわ。」
最近の私は「偉そうに言うだけの口だけジジイ」です。「人生がんばりつくした」なんて思いは全くありませんが、時代の変化は年を追うごとに速くなり、特に科学・研究の進歩は加速度的であり、もうその部分での私の役目はありません。
化学的に出涸らしの成分を考えると、出涸らしの役目はなんだろうと思ってしまいますが、「若い人たちに残せること」は私にもありそうです。その一つがこのコラムで、シン・アンチどちらでもかまいませんが、なにかしらの参考してもらえればよいと思います。
そしてなによりも全ての世代の人が「そのときの自分にしかできない役目みたいなものは確かにある。」ように感じました。とてもよい言葉でした。
がんばれ、寅子さん。でもがんばりすぎないでね。