120. AIについて思う

今年のノーベル賞は物理学賞、化学賞ともに人工知能(AI)関係が受賞しました。この受賞は、今後のAIの社会への貢献インパクトが計り知れず、それがはっきりとしたことを示しています。 

 

7~8年ほど前でしょうか、AlphaGoというプロ囲碁棋士に圧勝する人工知能が生まれました。チェスや将棋ではコンピューターが人に勝つことは出来ても、囲碁だけは絶対に勝てないだろうと言われていた時代で、衝撃的なニュースでした。その後すぐにAlphaFoldAIによるタンパク質の高精度な高次構造予測が可能となり始めました。その論文が出たとき、タンパク質の高次構造とその機能解析が専門の同僚が「これは凄すぎる」と言っていたのを覚えています。 

その頃だったと思いますが、レイ・カーツワイル氏の「シンギュラリティは近い」を読みました。皆さんご存じのように、シンギュラリティ(singularity)は技術的特異点という意味で、多くの場合、自律的なAIが自分自身(?)で学習と改良を繰り返して人間を上回る知性が誕生すること(時点)で、それがレイ・カーツワイル氏によれば2045年に到達すると予測されていました。 

2045年まであと20年ですが、シンギュラリティはもっと近いのではないかとさえ感じます。 

今の私は、AIの恩恵をきっと受けているのだと思いますが、積極的に使っているわけではなく、また最先端のAI事情について理解していません。

ですから、AIについてコメントすることはできないのですが、ただ雰囲気として、今から数十年ほど前の遺伝子操作の技術が広がり始めた頃と同じ「匂い」がAIから感じています。危険な匂いとでもいいますか、野放図にしていてはダメで、遺伝子の場合と同じようにきちんとした枠作りが必要だということです。遺伝子技術に関しては、倫理観とか遺伝子を操作するのは恐ろしいこと、生(命)の冒とくという観点とコンセンサスがありました。

AIの危険性についてはかなり議論されていますが、一般人がとても便利なものと実感できる点とどの産業にもなにかしらの恩恵をもたらすことが容易に想像できる点で遺伝子の場合とはずいぶん状況が異なるように感じています。それに既にすごい勢いで拡散してしまっています。 

今回のノーベル賞は、AIの危うさについて議論を促す意図がコミッティにあるようにも感じます。 

遺伝子技術がそうであったように、人の生活や健康を豊かなものにするような技術になってほしいものです。 

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