186. 衆議院選挙が終わって
先々週、友人と長浜、彦根、京都をめぐる小旅行に出かけました。京都では在住している娘も合流し3人で食事をしましたが、先日の衆議院選挙のことが話題になりました。
「○○さん(友人のこと)は反高市なんだよね」と私。
「今回の選挙結果をどう思う?」と友人。
娘は少し考えてから、こう言いました。
「高市さんや吉村さんは人気があって、若い人が政治に関心を持つきっかけにはなったと思う」
なるほど。雪の日もあったにもかかわらず、投票率は下がりませんでした。政治を他人事のように考えていたかもしれない若い世代が政治に関心を持つこと自体、悪いことではありません。
そういえば、田中角栄が総理大臣だった頃の総選挙で、共産党が大きく議席を伸ばしたことがありました。庶民宰相の登場によって、それまで政治に関心の薄かった層が投票所へ足を運び、意外にも共産党候補に一票を投じた人が少なくなかった、そんな分析を聞いたことがあります。共産党が庶民に分かりやすい身近な政策を掲げていたのだと思います。
政治に無関心だった層が動けば、大きなうねりが生まれ、これまでとは異なる力のバランスが生じます。今回のいわゆる高市現象、旧来型の政治手法に頼る政党・団体の退潮、新興勢力の躍進、それも一因だったように思います。
ところで、気になる報道がありました。
ある全国紙に、「自民党の議席は多すぎると思うか」という設問に対し、「多すぎる」が六割を超えたという世論調査の結果が掲載されていました。
ん?このような問いに何の意味があるのでしょうか?
与党が圧倒的多数を占めたとき、「多すぎる」と感じる人がマジョリティであることは、調査するまでもなく想像がつくわけで、こうした設問が、政権与党への歯止めや建設的な議論につながるとも思えません。単なる印象の確認でしかありません。
反高市の友人からメールが届きました。
「先日ある記事で「総選挙鬱(うつ)」なる現象が出ているのだとか。反高市を掲げて論じていた人たちが、大敗(自民圧勝)のあまり喪失感や無力感で、一種のあきらめが広がっているのではないかとのこと。」
確かに、そうした空気はあるのかもしれません。
どちら側であったとしても、総選挙後の政治の話題にはどこか疲労感がただよっているように思います。
明るい?元気の出る?話題に飢えていたと言わんばかりに、冬季オリンピックでの日本選手の活躍が過熱気味に報道されています。
先週も書きましたが、今回の結果は高市人気の産物ですが、主権者である有権者の選択の結果でもあります。選んだ以上、その後を見届ける責任、これまで以上に国会を監視する責任が国民ひとりひとりにあります。そのためには、全国紙には冷静で質の高い情報を提供してほしいと思います。
公約実現に向けた論戦になっているのか、それぞれの政策は国益にかなうのか。一人ひとりが問い続け、考え続けることが、いまこそ必要なのだと思いますし、若者に求めたいことでもあります。

