189. 現場でしかわからないことがたくさんある
最近レストランで、欧米からの観光客を見かけることが多くなりました。メニューには写真や英語表記がありますが、日本の料理を理解するのは簡単ではないようです。しかし慌てる様子もなく、スマホを使いながら熟考しています。店員さんとの会話もなかなか噛み合っていません。
海外旅行先の食事で困った経験は、私自身も何度かあります。スマホのない時代でしたから、メニューの文字列はほぼお手上げ、想定外のものが出てくることもありましたが、それが旅の楽しさだし、その地方を知る一つなのだと思うようにしました。旅の醍醐味は、自分で乗り越えることにもある——そう思っているので、海外からの観光客のこうした光景に出会っても助け船を出さず、「がんばれ」と思いながら見守っています。
駅の改札や土産物店でも、スマホやタブレットが使われています。隔世の感がありますが、スムーズで時間差のないコミュニケーションツールの完成には、もう少し時間がかかりそうです。
さて、十年ほど前のことになりますが、アメリカ西海岸に研究派遣されていた部下を訪問した際、彼がUberで車を手配してくれました。噂には聞いていましたが、その便利さ、クルマの良さ(アメリカのタクシーと比べると段違いでした)には正直、感動しました。現地で実際に使ってみて、その仕組みの素晴らしさが腑に落ちたものです。
情報はいくらでも手に入りますし、日本に居ながら海外の人ともウェブで話すことができます。それでも、現場に行き、その場の空気を感じ、実際に人と会わなければわからない感覚というものがあります。——そのことを、最近のAI事情でも実感しています。
AIの記事を目にしない日はありませんし、私自身も多少は使っています。しかし働いている人たちと話していると、日常の仕事の中でAIが自然で不可欠な役割を担っているように感じます。もはや特別視される存在ではなくなっていて、共通に使う(アクセスする)ことのできる優秀で便利なもう一人の社員がいるように受け取れます。この実感——正直に言えば私には疎外感でもあるのですが——「自分は時代から取り残されてしまっている」と実感させられる悲しい瞬間です。
外から眺めているだけでは、その本当の姿は見えてきません。 外国人観光客が日本で戸惑う姿も、アメリカで体験したUberの便利さも、そして今のAIも同じなのだと思います。 理解するためには、怖さや違和感を抱えたままでも、一度腰を据えて入ってみるしかない。それも早ければ早いほうがよい。そのようなことを最近あらためて考えています。
余談ですが、この文章は、今話題のAnthropic社のClaudeの助言をもとに修正しています。『現場に入ってみる』、まずは小さな一歩を踏み出してみた——そういうことにしておきます。

