151.長嶋茂雄氏

私の世代はこの方の訃報に触れない訳にはいかない、そんな思いで書き始めています。

 

私が小学生の時期がジャイアンツのV9と重なっています。その当時の男の子の遊びは草野球以外ありませんでした。特にチームがあるわけでも指導者がいるわけでもなく、自然発生的に同級生が集まって野球をしていました。ですから打順や守備位置も自分らで決めるのですが、ピッチャーとサードの競争率は厳しく、だいたいリーダー的な存在(ガキ大将!?)がそのポジションを取りました。

そうです。サードが人気でした。いうまでもなく長嶋茂雄さんのポジションで、彼の人気、カッコよさは打撃もさることながら守る(ゴロを取り、ファーストに投げる)姿だったのかもしれませんね。真似してみたい、あういうプレーをしたいあこがれの存在でした。

 

監督としては、客観的に見れば成功を収めた人ではありません。
しかし、彼は「ミスター」という称号でよばれ、野球界、そして私たち世代以上の人たちの象徴的な存在でした。

 

今から20年以上前に病で倒れました。

当時の病状やリハビリの様子などをきちんと知ることはありませんでしたが、同じ病で倒れた俳優の塩見三省さんの「歌うように伝えたい(ちくま文庫)」というエッセイに同じリハビリテーション病院に通う長嶋さんの姿と交流が描かれています。

長嶋さん自身はリハビリというよりトレーニングともいうべき過酷なノルマを課していたこと、また一緒にリハビリをしている人たちに「ガンバレ、ガンバレ」と声をかけ、車いすの人には腰を屈め(この病は腰を屈めキープするのは大変なのだそうです)視線を相手の人に合わせて笑顔で話をしていた温かいジェントルマンだったこと、その他にもさまざまなエピソードが書かれています。

 

常に前向きで、常に一生懸命を自然に出来た天才だったのだと思いました。

 

塩見さんはエッセイの中で長嶋さんの次の言葉を記しています。
「一生懸命やればできるようになり、もっと一生懸命やれば楽しくなる。そしてもっともっと一生懸命やれば、誰かが助けてくれる!」
いい言葉ですね。

 

合掌

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