182. 三島由紀夫の凄さをあらためて感じた
芥川賞と直木賞の受賞作が、1月14日に決まりました。前回の選考委員会では、いずれも「該当作なし」という結果でした。賞の権威を守ることも大切ですが、受賞作の有無は書籍業界全体の売り上げにも影響します。候補作に選ばれた時点で、すでに一定の水準を満たしていると判断されているわけですから、毎回それぞれ1作品は選出してもよいのではないか、と思います。
芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学を対象としていると聞いたことがあります。
学生の頃、村上龍氏の芥川賞受賞作『限りなく透明に近いブルー』を、エロ小説だと期待して読みました。しかし、期待外れだったうえによく理解できませんでした。金原ひとみ氏の『蛇にピアス』も同様です。そうした読み方で決めつけるのはどうかとも思いますが、以来、純文学には苦手意識を抱くようになりました。
一方、近年の小説、とりわけ大衆文学に分類される作品には、伏線を細かく張り巡らし、それを巧みに回収する手法の優劣を競うようなものが多いと感じています。完成度が高く、題材としても魅力的な作品が○○賞を受賞していて、これもにわか評論家の感想にすぎませんが、そうしたタイプの小説にやや食傷気味になっていました。そのせいか、読書のスピードも以前ほど上がらなくなっています。
さて、宮本亜門氏演出による『サド侯爵夫人』が上演されています。上演を知ったときにはすでにチケットはソールドアウトでしたが、久しぶりに三島由紀夫を読んでみようという気持ちになり、文庫本を購入しました。
―衝撃的でした。
「戦後演劇史上最高傑作の戯曲」と評価されていること、またこれがエロ小説でないことは承知していましたが、その格調の高さ、読者を圧倒する表現力と構成、そして圧倒的な「読ませる力」に驚かされました。三島由紀夫という小説家の格の違いをまざまざと見せつけられ、「お前たちも読んでみろ、演じてみろ」と挑発されているような作品です。
純文学も、いいものですね。
今なら、『限りなく透明に近いブルー』の良さも、理解できるかもしれません。

