187. 雪国の春の足音
私が住んでいる川崎には春が確実に近づいています。
気温が二十度を超える日もあり、梅はすでに咲き、近所の河津桜もほぼ満開です。花の蜜を求めてやって来たメジロかヒヨドリの鋭く澄んだ鳴き声が、桜並木に響いています。剪定された紫陽花や薔薇には新芽が顔を出していて、風景全体にやわらかな色合いが戻ってきました。
そんな折、先週、叔父が亡くなり、通夜と葬儀のため北秋田市を訪れました。
田舎はどこかと聞かれれば、「亡父の実家がある秋田」と答えてはいましたが、実際に「帰る」というのはおよそ五十年ぶりのことです。まして二月の秋田を訪れるのは、これが初めてでした。
今シーズンは特に雪が多かったそうです。
大館能代空港を出ると、あたり一面の雪景色、スマホで体感温度を見ると0度。車道にこそ雪はありませんが、除雪された雪が歩道に高く積み上げられ、とても歩ける状態ではありません。私の想像以上の冬景色でした。
従弟が車で送迎してくれましたが、その道中の話が印象的でした。
舗装が傷み、いわゆるデコボコ道になっている箇所が多く見られました。私は単に舗装が悪いと感じていたのですが、そこには雪国特有の理由があるのだそうです。小さな割れ目に入り込んだ雪や水が凍ると体積が増え、その圧力で割れ目が広がります。それが繰り返されるうちに、やがて凹みになるのだといいます。舗装が悪いのではなく、厳しい冬を経て道路が「痛んでいる」のだという説明に、なるほどと思いました。
葬儀の日は快晴で、いくぶん暖かさも感じられる日でした。
道路の両脇に積み上げられた雪は、陽の光を受けてまぶしいほどに明るく輝いるように見えます。溶け始めた雪の大きなかけらが車道に落ち、凹みには水が溜まっています。空気もどこか埃っぽく感じられるのだと、従弟は言いました。そして、こうした光景を見ると、たまらなくうれしくなるのだそうです。それは、冬の終わりと春の訪れを知らせる景色だからです。
雪国で暮らした経験のない私にとって、その言葉はとても新鮮でした。
同じ日本の春であっても、その足音は地方によってまったく違うことを実感した日でした。

