164. 紙の本を読む生活
ひと月ほど前のコラムに、連日の暑さで「出歩くのは危険という本能が働くのか、冬眠ならぬ夏眠、ひきこもり状態で、おかげで毎日読書三昧の生活をしています。」と書きました。酷暑が続いているおかげで、その生活が続けられています。
とうの昔に老眼となり、どの距離でも焦点が合いにくくなっています。ここ数年は書店で本をみて、よさそうなものがあればKindleを購入していました。しかし、iPhoneでは文字の大きさに限界があります。iPadもだんだん重く感じるようになりました。そのうちに読書から遠ざかる日が増えていき、読むこと、そして読み切ることが億劫になっていました。
このような体験を経て、一周回ったとでもいうのでしょうか、ある時から無性に「紙の本」が恋しくなりました。最近はもっぱら新書と文庫を手元に置いて読んでいます。しかも、食卓、居間、ベッドと持ち歩いていますが、この感触、とても心地のよいものです。
最近は電車内で書籍を読んでいる人を見かけます。同じ気持ちなのかと勝手に想像しています。
電子書籍のよいところは、検索機能が充実しているので、この登場人物や固有名詞はなんだっけ、どの場面に出てきたのかと悩んだときに、すぐにそのページやその場面を表示してくれることです。記憶力の悪くなった私などにはとても役立つ機能です。
「紙本」だとそれは出来ませんから、前にページをめくっていきその場面を探します。そうしているうちに、実質何度もその本を読み直すことになって理解が深まっていくことを実感します。今、「ユダヤ人の歴史-古代の興亡から離散、ホロコースト、シオニズムまで」を読んでいる最中で、私はその周辺の知識はないしカタカナも多いので、まさに見返しの連続です。苦労しながらも、一方で知識が増えることの喜びも感じながら読んでいます。
新書と文庫(小説)を数冊並行して読んでいます。
集中力がつづかないので・・・ザッピングのひとつでしょうか。
読む生活を続けたい、そのために紙本を持ち歩く習慣を続けていきたいと思っています。そして乱読ではなくきちんと読む。それによって、今更ですが、これまで知らなかった分野のことが分かり始め、関心をもつようになります。それはしっかりと「社会を見つづける」ことにつながるはずです。
もっと早く気がつけばよかった・・・