110. 大相撲

昨日から秋場所が始まりました。 

私は小さい頃から大相撲が好きでした。どうでもいいことですが、叔父から軍配をもらって、行司の真似をしている子供でした。
 このコラムは先場所、つまり名古屋場所が終わったときに書いていたのですが、公開のタイミングを逸してお蔵入りになりかけていたものです。 

 

 最近の大相撲はちょっと面白くないと思っていました。 

「番付の重み」という言葉がありますが、番付上位の力士、大関以上がきちんと勝ち続ける状態が正しくそして面白く、だからこそ番狂わせがあったときに盛り上がるのです。新入幕とか入幕数場所の力士が優勝したり、横綱大関以外から優勝者が毎場所出たりする大相撲は、私としては少し興ざめ感がありました。 

 先場所は横綱照ノ富士関の10回目の優勝で幕を閉じました。 休場することが多い横綱ですが、皆勤すれば、番付通りの強さを見せつけてくれます。 

その照ノ富士関が優勝後にこのようなことを言っています。 

「入門してから14年間、毎日目指していた相撲が今場所ちょっとでも完成できたという実感があります。」 

 優勝10回の横綱の言葉です。
怪我と病気で大関から序二段まで番付を下げて、その後頂点を極めた横綱です。 

相手が得意の態勢を許しても、怪力でねじ伏せる、それがこの横綱の強みであり醍醐味だと思っていましたが、彼が目指す相撲は違うようです。完全に素人眼ですが、たしかに名古屋場所は相手より先に前に出て圧力をかけ、膝が常に相手の方に向いていて、ちょっとこれまでとは違う取り口でした。 

 

 一方で、陥落する大関が多いことは、ファンとして悲しいことです。名古屋場所も貴景勝関が負け越して大関を陥落しました。 

「強いやつは大関にいる、もしくは上(横綱)に行く。弱い者は落ちるべきだと思う」 

貴景勝関の言葉です。
実力社会で白黒がはっきりする世界に身を置き、長年大関をはってきたからこそ言える言葉なのでしょうが、貴景勝関の身体のことを多くの人が知っているので、とても痛々しく感じます。 

 

 照ノ富士関、貴景勝関、立場が異なり、また大きく明暗を分けた場所となりましたが、どちらもその境地に達した者、その立場にいた者だけが発する言葉という点は共通していて胸をうたれました。 

 

ところで、スポーツには怪我はつきものですが、まわし一つのお相撲さんの怪我は見た目にもよくわかりますし、痛々しいですよね。防具をつけない無差別級のパワースポーツですし、体格が以前よりも大きくなり、動きも激しくなったからでしょうか、以前よりも増えたように思います。 

 

1年6場所はファンにとってはうれしいことですが、怪我をしたら安心して休養できるような制度を考えてもよいのではないでしょうか。 

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