132.災害大国になりつつある日本がすべきこと

 今年は昭和100年でもあるそうです。 

最初の20年は戦争の歴史でした。それ以降の日本は、幸い概ね平和といえる時代が続いていますが、戦後の復興、高度成長の期間に築かれた設備が老朽化して、それが社会問題になっています。八潮市の道路陥没事故はその典型です。 

 また、平和=戦争に直接関与しなかったという意味では平和なのでしょうが、記憶に刻まれるような大きな事故や災害が起きています。中でも気候による災害の頻度は増えているように思います。「何年に一度、数十年に一度」というフレーズを年に何度も耳にします。そのたびに歴史的な経験値から想定される以上の降水量があり、河川の氾濫や土砂崩れによって多くの被災者が出ています。天気はかなり正確に予報することができ、被害を最小限に抑えられてきているのでしょうが、災害はおさまりません。 

 

 地震予知の研究も随分進んでいるようですが、1日、1週間単位での予想は難しいようですし、仮に地震を予知できるようになったとしても防ぐすべはありません。国内のどこかで、数年に1度、何百人から何万人の死者が出ています。当事者にとっては突然の死であり、またその度に被災された多くの方が避難生活を余儀なくされています。 

 

 住宅が頑丈になろうとも、治水などの環境整備に力を入れていても、いったん地震や自然災害が起これば避難生活を強いられる人が必ずいます。 

 

 数週間、数ヶ月に及ぶ避難生活の実態が毎回顕在化され、それでもその準備が甚だ心許ないのが日本の現状です。個人の準備も必要でしょうが、それは数日の備蓄が限界です。物資の供給路やプライバシーが守られる生活環境の確保、トイレなど衛生設備の迅速な供給体制など、国、行政側のリスク管理としてとても重要だと思います。 

 

 平和ボケの日本はリスク管理が脆弱のように感じています。このようなことの予算執行の優先順位は低いのでしょうか。減税とか○○の無償化とかなんとかの壁の議論もよいのですが、平時の国民のご機嫌をとることばかりが政治ではありません。 

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