55.同じ書物でも出会う時期で感じ方が違う

 私は無趣味の人間で、プロフィールで趣味の欄があるといつも困ってしまい、「読書」と書いていました。母親の影響か、確かにたくさん本を読んではいましたが、「読書が趣味」だと、私は趣味のないつまらない人間ですと宣言しているようなものだと感じていました。以前のコラムにも書きましたが、歴史小説は好きです。プロフィールに書くときは、ジャンルを絞ればよかったなというのが、今更ながら、反省するところです。 

 

さて、今回は読書について、少し私見を述べてみたいと思います。 

私の小~中学生の頃は、課題図書があって、その読後感想文が夏休みの宿題でした。ワンフレーズの感想ならともかく、原稿用紙3枚、しかも読書感想文コンクールがありました。興味のない小説を読まされ、尤もらしい感想文を書かされる、この宿題がとても憂鬱でした。ChatGPTが当時あれば、間違いなく頼っていたことでしょう。子供の読書嫌いの原因の一つではないかと思える宿題でした。若い頃は好きなジャンルのものを多読したほうがよいと思います。 

 

 また、古典名作の強制も賛成できません。私の中・高校の頃は、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、川端康成などの小説がそれにあたります。へそ曲がりでしたから、実は、夏目漱石は一つも読んだことがありません。(試験対策で小説の出だしだけは暗記していました。) 

 谷崎潤一郎はあの独特(!)の世界にそそられ、たくさん読んでいて、谷崎潤一郎が好きだと大人に言うと変わった子供を見るような目で見られました。 

 

 さて、50歳を過ぎてでしょうか、なにがきっかけだったか忘れましたが、川端康成の雪国を手にとりました。もちろん、初見。しかし、これが実に面白い。感想文が苦手ですから、これ以上は書けませんが、おそらく、私が、登場人物の心情や行動が理解できる年齢になったということだと思います。なるほど、世の中の大人たちが素晴らしい小説だから読めといっていた気持ちが理解できたような気がしました。しかし、中学生の自分が読んでいたら、とてもこのような感動はなかったに違いありません。 

 

名作であっても、それに出会う年齢や心境によって感じ方が異なります。
もう一度、あの名作を手に取ってみませんか。

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